今年を振り返って

2015年12月22日 22:44

 あまりにも大きな衝撃だった。ごうごうと流れ出る濁流に家が飲まれ、車が沈んでいく。これは、同じ茨城県で起こっていることなのだ。まるで、映画のシーンを見るように、自衛隊の救助ヘリがホバーリングしながら、助ける順番を検討しているように感じた。電柱のおじさんが先だろう。いや、家が危険なのかもしれない。映像で見ているのと、現場で目の当たりにしているのとでは違うのかもしれない。などど、思いながら。

 

母が孫である私の息子に聞かせた洪水物語が、小4の時「第29回ごはん・おこめとわたし」で農林水産大臣賞を受賞した。それは、約75年前の鬼怒川の小学3年生の時の母の鬼怒川の氾濫の経験でした。それが、まさに、今年、再びやってきたのでした。当時は水海道に住んでいたお母さんは、子供ながらに恐ろしい経験として、瞼に焼き付いているのでしょう。祖母が作る炊き出しのおにぎりを持ち、母の膝まで水が迫る中での避難劇は、当時も今も変わるものではありません。

 

9月10日は、常総の人々にとって忘れられない自然災害の日であり、、記憶に留めざるを得ない危機管理の日としても永遠に残る必要がある。便利な生活は、自然の驚異を忘れてしまいがちな現代生活の中での戒めとして。2011年3月11日の東日本大震災といい、大きな災害が身近に続くように感じられる。人間の文明など大したことないと、自然は時に牙をむいて生活を破壊する。まるで、我々の傲慢さをあざ笑うかの如く、徹底的に破壊していく。

 

そんな中で、大地震と洪水に挟まれながらも、大事に至らなかった地域の幸運に感謝しなければならないし、不運にも大きな災害を受けた人々には、ねぎらいの言葉をかけ、労わらなければならない。慰めの言葉が出ないほどの痛手を受けた常総の皆様には、頭を下げるしかないのだが。私たち人間の生活は、自然の中で守られており、自然の恵みを受けるとともに、すべてを奪っていく自然の仕打ちに、改めて無力さを痛感せざるを得ない。

 

今年は、茨城では大きな災害の年でしたが、日本だけでなく、世界を見渡せば、人々が自然により犠牲になっている事実が、歴史になっていく。私たちの歴史は、自然災害の中で、生き残り、栄え、あるいは滅び、刻まれていく。もし、それが怒りを買うものであったり、悲しみを誘うことにより起きるもののごとく、自然を神格化するものであるならば、人間は何とむなしいものであることか。