大谷翔平は何を求めてアメリカに渡ったのか。
2018年04月09日 16:57
江本孟紀氏の「大谷は私の成績すら越えられない。」と、4月9日にAERAdot.
で伝えられている。二刀流は、マスコミとファンとをひきつける餌に過ぎないというのである。プロの目からすると、大谷の記録がどっちつかずで、自分の成績すら越えられないだろうというのである。
確かに、イチローにしても、野茂にしても、その成績は、ずば抜けているが、後世の人が見たら、数字しか目に入らないのかもしれない。記録と記憶は、似て非ざるものでもある。長嶋の天覧試合のホームランが記憶に残るものであり、王のホームラン数は記録に残るものであろう。
では、大谷は何を目指しているのか。イチローは打率を目指し、ヒットを量産している。王はホームランを量産した。大谷は、投手と打者で野球を楽しみたいのだと考えられる。どちらかの超一流になる記録よりも、自分がやりたい野球を目指している。江本氏の言うように、DHと六日に1回の登板では、投球回数も打撃数も足りない。
だから、数字が残らないという理由からだが、話題性ではすでに世界的になりつつある。投手としての成績や、打者としての成績を残すことは重要であり、それがプロ野球選手の目標かもしれないが、観客からすればそれだけではない。野球は楽しむものである。楽しめる野球という意味からすれば、私は、大谷のような楽しめる選手をイチローのほか知らない。然も、大谷は打撃と投球の二度おいしいのである。
大谷選手のスプリングトレーニングでは酷評されていたが、そんな向かい風の中で頑張る選手を見ると、勇気を与えられる。イチロー選手もそうだったし、大リーグで活躍する選手の宿命か、日本にいる解説者は、一様にアンチ渡米派である。未踏の地にチャレンジする人生は、周囲から理解されないことが多いのは、世の常なのであろう。
特筆すべきことに、大谷選手の成績は私たちを勇気づけ、奮い立たせる効果をもたらしてくれている。それは、打つと投げるという二倍の楽しみとなって、観客の心を打ち、アメリカの地に思いを馳せる。彼のあくなき探究心は、邪魔する輩をものともしない。
最後に、野球は見世物である。超一流の見世物になってなんぼが、野球選手なのである。それは、イチローのレーザービームであり、松井秀喜のワールドシリーズMVPであった。記憶と記録。それは、相反するものではなく、相乗効果になるはずである。両方を兼ね備えた選手こそ、観客を魅了してやまない超一流の野球選手であるに違いない。記憶とは、私たち観客を感嘆させてやまない、永遠に心に刻まれる思い出になるものである。